2025年のつれづれ。
ラジオを趣味にしている私ですが、普段はradikoを使って聴取をしていました。しかし、最近カーラジオを使う機会が増えてきたのもあって、ラジオ受信機が欲しくなり購入して使う場面が多くなりました。
radikoってコミュニティ局はカバーしていないので、そうした局を聴くには別途ブラウザを立ち上げるなどしなくてはならず、その手間がないのが良いです。あとは、目に見えない電波が、送信所のアンテナから自分の小さな受信機のアンテナに届いているという実感が持てるのが改めて良いなあと思うのです。
あとは、朝の身支度をしている時間などに時報がわりに使っているのもあって、radikoだとタイムラグがあるのが地味に不便だったというのもあります。
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現在、仕事の都合で浜松と伊豆の二拠点生活をしています。そのため、聴く局もいる場所で変わってきます。
伊豆の東海岸は、私が子供の頃はどのラジオ局も電波が届きづらく(NHKとニッポン放送は聞きやすかったかも)、子供のときにラジオ趣味に目覚めなかったのもそれが一因でした。
しかし最近改めて聞き直してみると、TOKYO FMがとんでもなくクリアに聴こえるのですよね。なんでなんだろうと調べてみたら、テレビの地デジ化とスカイツリーの供用に伴って、送信所のアンテナを移設したのですね。
しかも出力は10kW!! 他の地域FM局とは桁が2つくらい違います。カーラジオで伊豆半島を移動しながら聴取可能範囲を調べた感じでは、伊豆の稜線近くまでは十分聴こえる出力です。
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一方浜松ではどうかというと、最近は静岡のK-Mixとコミュニティ局のFM HARO!を交互に聞いている感じです。コミュニティ局とは言っても、時折流れるオリジナル番組以外は基本的にJ-Waveの中継局という位置付けになっています。
浜松の電波事情は、K-Mixは旧・西区の大平台の送信所から、FM HARO!はアクトタワーから送信されているようです。アクトタワーの圧倒的高さもあって、FM HARO!の方が心なしか受信感度が良いように感じます。
この1、2年はずっとJFM系列ばかり聴いていましたが、この機会にJ-Waveも聴くようにしてみようかなと思うこの頃です。
ラジオというメディア媒体は、その場所の受信感度で送信所との距離感や電波伝送に思いを馳せたり、コンテンツとして流し聴きしながら過ごす快適さもあって、スルメのように次第に良さがわかってくるメディアだと思います。
良いラジオネームが決められたら、投稿なんかもしてみたいものですね。
2025/11/24
来年度の職場の人事が発表になり、ようやく自分の処遇が引き続き同じ分野の研究員として続けられることがわかり、今はとにかくほっとしています。
私のポストはテニュアトラックのように明示的に任期が定められているわけではないものの、配属後3年を目安に他部署への異動対象者の俎上に挙げられます。その次に異動の可能性が高まるとしたら今の研究課題が終わるタイミング(2年後)だと思うので、これであと2年は腰を据えて研究に打ち込めそうです。そして、これからの2年が業績を積む正念場になるでしょう。
あとは、年齢的にそろそろ昇格が見えてきているものの、おそらく所内の来年度の人員配置などの都合で、それが見送られたようです。とはいえ、昇格させたいのであれば非研究職でいくらでもポストはあっただろうから、それをせずに私を研究職に残そうというインセンティブが働いた傍証とも考えられるので、期待に応えて学位取得に励まなければならないでしょう。
学位取得は、今とても悩ましく考えています。今はせっかく休職してD進したのにその成果はなかなか芽が出ず、その一方で仕事の方でライフワーク(=博論のテーマ)が見つかってしまっている状態です。進捗が苦しい課程博士を再びテコ入れして頑張るか、もう博士満期退学で諦めて論文博士を目指すか、早く決断しなければいけないのですが、どうしたものか…と、なかなか結論が出せずにいます。
2025/03/20
タイトルのとおりです。今日の夜には投稿処理を済ませる予定だけど、11月に準備を始めて昨日の夜に投稿に必要な全ての準備を済ませるまで、ここまで非常に長く辛く困難な道のりが続いた。
ここまで、共著の先生からの的確で粘り強い激励(飴と鞭ともいう)がなければ、たどり着くことは絶対にできなかっただろう。どの言葉を尽くしても足りないくらいの感謝を、この先の受理までに待つ、さらに大変な査読審査への対応でお返ししたいと思う。
原稿そのものは完成しているが、実はこの記事を書いている時点で一点だけ調整が済んでいない懸念材料があるので、そこだけが心配である。それは、ここではひとまず置いておく。
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今回初めて英語で論文を書いたわけだが、原稿は先に一度日本語で完成させて、それをChatGPTで翻訳する形で進めた。
LLMに0から作文させると剽窃のリスクがあるが、そうではなく自分で書いた日本語を学術論文にふさわしい英語へ翻訳させるのであれば、そうしたリスクも低いし、翻訳スキルは相当に高いので良い方法だと思う。
最初に一気に項目単位で翻訳させたあと、その後、もう一度冒頭から1文単位でチェックをかけて、論旨の間違いや口語的な単語の言い換えをChatGPTに質問しながら完成させた。この方法であれば、まとまった時間さえあれば、日本語で結論を箇条書きした程度の草稿を日本語原稿へ仕上げるまでに1週間、その後の翻訳と関連作業に1週間で、合計2週間程度あれば投稿までたどり着くことができるだろう。
まだレフリーとの闘いをしていないのでなんとも言えないが、これくらい英語論文を書く敷居が下がったというのは本当にありがたいことだと思う。
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以前の記事でもほんの少しだけ触れたが、今回投稿する論文は、日本国内で50年以上、現在も多額の税金を投じて対策が講じられているとある病虫害に対して、そのメカニズムと対策へ新たな視点を与えるものである。
根本的に新たな視点を提示するというのは、つまるところ既存の対策に足りない点があることを指摘することに等しい。これは、実務的にはこれまでの税金の使い途が間違っていたことを意味し、そのために、定説から大きく外れる主張として厳しい批判(政治的圧力)もしくは無視が想定される。現に、共著者が先に投稿した別の関連論文では、既にそういった不当な査読があったそうである。そのため、公正な審査が国内では困難であることから、今回は頑張って慣れない英語で論文を書いてきた。著者からの査読者の推薦(Suggested reviewers)も、日本以外の研究者をお願いしている。
まるでフィクションのような話であるが、私にとっては味方も敵も皆知り合いしかいなくて、頭を抱えてしまう。たとえ法人化されていても、国研の研究者やそのOBは霞ヶ関を忖度しなければいけないのだろうか。
でも、政治的な都合とかどうでもいいから、野外で実際に起きている現象が全てであるはず。それが定説で説明できないなら、他に一番合理的に説明できる仮説を早く実証して、それをなるべく早く実用可能な技術にまで落とし込むのが本来のあり方でしょう。そうでなければ、現場で実務にあたる方々に申し訳が立たない。
昨年11月にnoteで「チ。ー地球の運動についてー」の感想を記事にしたとき、最後に組織や社会にとって都合の悪い真実を暴く難しさに言及した。これを述べたのは、私自身がこういう問題に切実に直面しているからだったのだ。…という伏線回収を、ここでひっそりと済ませておくのでした。。
2025/02/24
論文の投稿期限がかなり迫っている中、執筆のモチベーションが思うように高まらず進まない。主には冬場の冬季うつが影響しているのだろうと思う。
机に向かってもやる気が出ず、つらい。本当につらい。常に自分の気持ちの根底に燻り続けている希死念慮の渦に押し流されてしまえばいっそ楽になれるのに。
しかし、今論文にしようとしていること、そしてその先にさらに進めたい研究は、自分の人生がこのためにあったと言っても過言ではない、重大な問題の解決につながるものだと信じている。知って託されてしまったことは重い。この、一連の問題を解決するまでは、自分は死ねない。
自分はずっと子供の頃から研究者になることに憧れていたが、つい最近ですら、研究者になって何をしたいかは漠然としていたのではないかと思う。だけど、今は違う。研究職のポストにしがみつきたいという気持ちよりも、未解決の問題を早く解決するために実験したいという気持ちが強い。この気持ちとアイディアはきっと間違っていない。この思いが続く限りは、私は心を折られずに研究を続けられるはずだと思う。
2025/01/19
今年は月曜日が仕事始めで、1週間がとにかく長かった。
うちの職場は、世間と比べてかなり早い時期に年度末の繁忙期が訪れる。これは、2月頃にその年度の研究成果の評価を受けたり報告書の類いを取りまとめる行事が集中しているので、それに間に合わせるため。そういうわけで、今週は前者の外部評価のための資料の締め切り、週後半は講師業務で出張という感じで、かなり余裕のない1週間を過ごした。
自分が持っている研究予算は、うちの組織では(競争資金でないという意味で)通常枠のかなり少額のものなのだが、それでも毎年この時期に進捗を外部の有識者に諮るため、報告書とプレゼン資料の作成に追われる。少額すぎて、県内移動ですら高速道路料金が不足して一般道で出かけているというのだが……。
今年度は実験の繁忙期と研究会運営が重なってしまいろくに新たな成果が得られていないので、如何にそれっぽい成果のようなものを見せるかという、あまり本質的でない作業を強いられたのでやる気を保つのが大変だった。それでもなんとか締め切りまでに体裁を整えて提出を終えた。
個人的には、提出期限がかなり迫っている論文の原稿を毎日少しでも早く進めたいところである。今週、これらの事務仕事をしている合間も共著者先生から何度も連絡があり、それが有り難くも良いペースメーカーになってくれている。それがないと、事務仕事で押し流されて論文にまで気が回らなくなりそう。3連休は久しぶりに落ち着いて作業に専念できる。
2025/01/10
今年は、自分の努力でどうにかなることもそうでないことも、節目となる出来事が多い一年となると思う。
まずは自分の努力でどうにかなることとして、仕事での直近3年間の成果を論文で出し切ることを最優先でやる。あとはプライベートでやっている2題の研究もそれぞれ論文や報文に仕上げていきたい。特に休学にして止まったままになっている博士課程での研究は、いい加減に終わらせる道筋をつけなければならない。休学期間を含めた在学年限も結構ギリギリになっているので、頭の痛いことではあるが、春までに方針を決めておかねば。趣味でやっている昆虫分類の仕事も、気分転換の意味でも定期的に外に採集に出かけたい。こちらは昨年に引き続き、県レッドリストの改訂に反映してもらえるような記録を得るのが目標。
自分でどうにもできないこととして、今年の春の人事異動が懸念材料である。最近の自分の周囲の動向を見ていると、今年の春に他部署(非研究職)へ異動する可能性がそこそこ考えられる。一応、3年で異動になることも想定して、自宅に中古顕微鏡などの設備はひと通り揃えてきたので、異動になっても在野で充分やりたいことは続けられるようになっている。むしろ、人材の継続性という面で職場側の方が困るのだろうと思うが、人事の考えていることはよくわからない。異動の可能性も考慮して、これだけは、という成果は論文化を急いでいる。
逆に今年も引き続き研究職に残留になれば、ある程度先まで落ち着いて在籍できる可能性が高まる。そうだとしても、今書いている論文が業界的に物議を醸すものであるので、異なる方面での困難が予想されるので気を強く持たねばと思う。
三浦しをんが辞書編集者を描いた小説「舟を編む」を以前読んだが、途中で仲間が一人、また一人と減っていく中、不遇に見舞われながらも淡々と出版に向けた作業を続けている主人公が非常に印象に残っている(個人的には実写映画版が一番好き)。自分も身近な仲間が毎年一人また一人と転出し続けていて、さらに研究以外の雑務が増える一方という状況で明るい将来というものがあまり見通せないので、一人きりでも淡々と手を動かし続けられるような気持ちの強さを身につけられたらとも思う。
2025/01/03